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総会・講演会

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【第54回成城学園同窓会講演会】

「スポーツビジネスの光と影 ~湘南ベルマーレの30年~」

 

【リアル講演参加感想】

私が平塚市に住むようになったのはJリーグ誕生の1992年、その翌年ベルマーレはJリーグ入りしました。天皇杯優勝、中田英寿選手の活躍などがあり、我が街にプロサッカーチームがあることは誇りでした。それが突然親会社の撤退により存続の危機・消滅の危機に陥りました。

真壁氏がベルマーレの社長に就任されたのは、まさにどん底時代のこの年でした。本日の真壁氏の講演を聴講していて、マーケティング講座の「ケーススタディ」を受講しているような錯覚が起きました。年商僅か7億円、年間3勝しか出来ない弱小球団を存続維持するための諸策。広告代理店を介さず、企業スポンサーに替わる650社の少額スポンサーの開拓、産能大におけるスポーツビジネス講座、楽しい・幸せ・豊かさをテーマにしたスポーツクラブの運営、そして若手選手の育成など多角的視野に立った数々の対策を伺いました。湘南ベルマーレのチームと共に、素晴らしい経営手腕を発揮された真壁氏が同窓生であることを、改めて誇りに思います。 

(15経C 山口俊彦)

【2022年度総会報告】決算・予算詳細は会報51号春号参照

 

実施日 : 2022年 5月12日(木曜)  11時より     

会場 : 鵠沼公民館

出席者 : 15名    委任状 : 96名  (在籍総数142名)

第1号議案 : 2021年度活動報告 及び 会計決算  (活動報告書は省略)

第2号議案 : 2022年度活動計画 及び 予算計画  (決算書と予算書は別紙)

第3号議案 : 2022年度役員 及び 運営委員

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●2020年度総会●

4月22日に開催予定でしたが、新型コロナウィルス感染の危険を鑑み中止としました。

そこで極めて異例の形ですが総会出席のご返事をいただいた方々にメールにて「総会資料」を

送付し審議承認をいただき、欠席の委任状とあわせ総会議事承認のことといたしました。

​なお承認(含委任状)120名です。

​議事内容等の詳細は「湘南成城会会報47号 2020春」を参照ください。 

 ●2019年湘南成城会総会 //2019/4/24●

2019年4月24日(水曜日)藤沢市民会館 第2会議室、9時半からの開会に先立ち最初に今期に逝去された会員、萱野安之介さん 高橋久美子さん 宮田松央さん 藤田次郎さんに今までの会の貢献に感謝して黙禱をささげました。

総会は会員数166名中23名の出席113名の委任状出席を得て、開会が宣言され 昨年の活動について榊原副会長から報告がありました。また各部会についてはリーダーの方から詳細な報告がありました。 今期は前年度の地引網が中止なので一概に比較はできないが、落語会の開催や江の島に地引網が移動して約倍増するなど行事参加者総数は592名でした。決算報告は相澤会計員から報告があり、前期繰越355945円 収入519088円 支出合計475591円 次期繰り越し399452円 上家監査役から監査方向があり、承認されました。 来季の行動計画と予算が報告されて、人事に関しても、昨季と同じ体制で臨むことが承認され10時05分閉会しました。閉会後に成城学園同窓会の河本隆さんから、支部活動援助金をいただきました。        (遠藤洸一)                         

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●湘南成城会定期総会講演 //2019-4-24●

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​柴崎由紀氏

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【新渡戸稲造博士   その生涯  成城学園 鎌倉】 

 

新渡戸稲造ものがたり』(銀の鈴社)の著者 湘南成城会の会員 柴崎 由紀さん(文芸27F)の講演。 

新渡戸稲造(1862年9月1日(文久2年)生誕~1933年10月15日(昭和8年)没

日本の教育者 思想家 農業経済学者 国際連盟の事務次長 著書Bushido(Soul of Japan)を英語で出版 日本銀行券、旧5000円札の肖像 東京女子大学初代学長

 

盛岡南部藩の新渡戸十次郎の末っ子として生まれるが、父が早くなくなり、祖父に育てられた。東京の洋服屋をしていた叔父の太田時敏の養子となり、13歳で東京英語学校(東大の前身の一つ)にて学ぶ。15歳で札幌農学校の二期生として入学、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士は、すれ違いで直接習うことはなかった。

当時の札幌農学校では、授業はほとんど英語で行われた。新渡戸稲造による当時の英語ノートは、伝記の表紙にもデザインされている。卒業後は開拓使の仕事に就く。東京大学(のちの東京帝国大学)入学に際し、「太平洋の架け橋になりたい」の言葉を残す。東京大学の教育に失望し、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学に留学。続いて官費留学生としてボン大学などに学ぶ。

メアリー・エルキントンと結婚して帰国、札幌農学校(現在の北海道大学)教授に就任。長男を授かるが、約一週間で亡くす。(のちに甥を養子にする)。その後、誰でも入れる月謝もない学校「遠友夜学校」を夫人とともに設立。北海道での激務に体調を崩し、カリフォルニアに転地療養中、『武士道』を英語で執筆、出版する。同郷の後藤新平(台湾総督府民政長官。総督は児玉源太郎)に招聘されて台湾総督府の農業技師として赴任。帰国後、京都大学教授や旧制第一高等学校の校長となる。文京区の小日向に屋敷を構え、多くの人脈を築く。拓殖大学の学監、東京女子大学の初代学長にも就任した。一緒に暮らした孫の新渡戸誠さん (加藤)武子さんは、その後、成城学園の初等科に入学される。太平洋問題調査会の団長としてカナダのバンフに行き、帰路バンクーバーのビクトリアで亡くなる。 

成城学園 

成城学園創立者の澤柳政太郎先生は、同じ教育者として新渡戸先生を、「学識が広く、精神が純潔で、思想が豊富」とたたえている。新渡戸稲造先生の孫の誠(10文甲)、(加藤)武子(6百合)さんは帰国子女として、大正の自由教育の先駆的な成城学園の初等科に入学している。民俗学者の柳田国男さんは、郷土会を新渡戸と共に立ち上げた。新渡戸先生がジュネーブに滞在しているときに訪問し、ヨーロッパ滞在中、その後の研究の礎を築いたとされている。ご子息が成城学園に学び、成城の土地が分譲となった際、成城に移り住んだ。

新渡戸の一高校長時代の教え子、前田多門さんはILOの日本代表でジュネーブに着任、そのお子さん陽一(3文甲 のちのフランス文学者) 妹 (神谷)美恵子(1白百合)さんは帰国して成城学園に入学されていた。同じく一高時代の生徒だった野村胡堂(『銭形平次』の作者)さんの息子一彦(4文乙)は結核にかかり若くして亡くなるが、(神谷)美恵子さんと純愛を貫く。

 黒柳徹子のトットちゃんの卒業したトモエ学園の小林宗作先生は、ジュネーブで新渡戸先生と交流。リトミックを学んで日本に持ち帰った。 加藤武子さんは、ジュネーブでリトミックを習っていたのも成城学園に行くきっかけになったかもしれない。

鎌倉と新渡戸稲造 

稲村ケ崎の音無橋の隣に、かつて新渡戸の別荘があり、その斜め向かいの傾斜地の上に津田梅子さんの別荘があった。新渡戸の旧別荘は、現在、聖路加国際大学のセミナーハウス「アリスハウス」となっている。また、メアリー夫人は動物愛護の活動に熱心で、牛馬のための飲水槽の設置にも尽力した。 宗教学者の鈴木大拙さんは鎌倉の東慶寺に住み、禅(ZEN)を世界に広めた。奥さんはやはりアメリカ人であるが、この二人の夫人に交流があったかどうかはわかっていない。新渡戸先生が亡くなり、メアリー夫人が一番頼りにしたのが、一高時代の教え子、田島道治さん。新渡戸先生の書生で、のちの宮内庁長官。

新渡戸稲造先生は札幌農学校でキリスト教の洗礼を受け、のちにクエーカーとなり、メアリー夫人と結婚した。 クエーカーはキリスト教の一派で平和主義。平成の天皇陛下の中学時代の家庭教師バイニング夫人は、やはりクエーカー。その思想に、陛下も影響を受けているかもしれない。

 

柴崎さんから伝記を書くこと、読むことの意味は、自分以外の人生を知ること、歴史を学ぶことにもなるので人生の勉強になる。 新渡戸稲造先生は、「この世に生まれた大きな目的は、人のために尽くすことにある」と言い残した。 約一時間半、写真を見ながら、実際に現地の取材を重ねたジャーナリストとしての素晴らしい講演だった。             (遠藤 洸一)

 

 

 

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